フェアプレー精神?
なでしこジャパンの予選二位通過狙いの引き分けに批判があったようですね。
たまたま、バドミントンの無気力試合があったので、話題になったのでしょうか。
確かに、わざと負けるというのは疑問がありますが、あれってもともと「わざと負けたらそういう処分がありますよ」って通告はあったんですかね?(知りませんけど)
サッカーについていうなら、わざと「負けた」のではなく、引き分け狙いなのでちょっと状況が違うのではないかと考えます。
だって、負けるのは簡単ですけど、いくら力の差があったって、引き分けるって大変ですよ。守らなきゃいけないんですから。
ワールドカップなんかだとよくある話だと思いますが、例えば二位通過狙いで、ライバルチームとは得失点差のみだったとします。
1−0で勝っていて、残り10分の状況。
もう1点とると1位通過になってしまうので、残り10分は攻撃にいかずボール保持に徹したとする。
やっぱり批判されるものなんでしょうか?
この状況を批判されていたところを聞いたことがないので・・・。
オリンピックだから特別なんでしょうか?
それはフェアプレー精神に反するのでしょうか?
あれほど力の差があると思われる、しかも決勝トーナメント進出もない相手の場合、下手に攻め込むと、それこそアンフェアプレー体を当てられて怪我でもしたら大変です。
ただ、「引き分け狙い」とわからないようにするべきだったかな、とは思いますが。
オリンピックはメダルを目指して戦うもの。
同じメダルでも色はきれいな方がいい。
何十年も前、日本がサッカーで勝ち取ったメダルは銅メダル。
でも、その組み合わせまできちんと記憶している人は少なくて、「銅メダル」なんですよね。
同じ1回の負けでも組み合わせ次第で銀メダル、銅メダル、メダルなし。
オリンピック選手はプロじゃないんだから、自分たちだけのためにメダルを目指してもらえばいいんじゃないかって思うんです。
人生が変わってしまうんだから、よりよい可能性を探ることは大切なことです。
メダルが人生の全てではないけれど、彼らにとって今一番大切なのはメダルなんじゃないかと思うのです。
人はルールの範囲内で最適な行動をとります。
ワールドカップなどでこういうことが起こりうることはわかっている方式なのですから、批判するのであればこの方式そのものを批判するべきです。
対戦相手に失礼といえば、柔道なんてホント失礼そのものだと感じます。
「金メダルじゃなければ意味ありません」
なんて。
僕は銀メダルでも、銅メダルでも、メダルなしの残念な結果に終わってしまっても、そこまでの過程があるし、拍手を送りたいと思います。
でも、この一言だけはどうかな・・・。
意味ないって、意味はあるじゃないですか。
「この大会ではあなたが一番ではありませんでした」という意味が。
柔道は背負うものも大きく、独特な世界なのかもしれませんし、こういう気持ちを持つこともわからなくもないですが、ちょっとどうなんでしょう、ね。
たとえ、柔道らしからぬ猫パンチの応酬から時間切れ待ち、だったとしても、ルールの範囲内で勝つことに努力と研究を重ねてきた相手がいるわけですから。