不惑に向けて

日曜日の真面目な話。

孔子論語の有名な部分に次のものがあります。
「吾十有五而志於学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」

(われ十五にして学を志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」


中学校の教科書だったかで初めて目にして以来、常に僕の意識の中にある言葉です。

30にして立つ。

30を超えたとき、「まさにそうだな」という実感があり、次の不惑を意識した30代を生きています。



今まで、「不惑」とは「惑わない」、つまり、40歳はいろんなことを知り、理解できているから判断に迷わなくなる、「生きる意味を知る」年齢だと考えていました。


しかし、30代も折り返した今、予感するのは、「不惑」とはそういうものではないのではないか、ということ。


もしかすると、「全てのことを知ることはない。ただ、受け入れることができる」という意味なのではないか、と感じ始めています。


はてさて、どのような一年になりますか・・・1年後の自分が楽しみです。