自分を知る

日曜日の「真面目な話」。

プロ野球セ・リーグのファイナルステージ、巨人対中日戦のテレビ中継を観ていました。

ゲスト解説にソフトバンクを引退したばかりの小久保選手。

小久保さんに質問。
「昨年、日本シリーズなどで対戦して、中日ドラゴンズというチームの印象は?」


小久保さんのこたえ。
「こんな言い方は失礼ですが、ドラゴンズのバッターはは打てそうな感じがしませんでした。ただ、ドラゴンズの選手は、自分たちが打てないことを当然のようにして試合を進めているように感じ、とても不気味なこわさがありました。最初から1−0、2−1くらいの展開を前提にしているんです。抑えても試合の流れが来ないんです」



「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」
と、孫子の兵法にいいます。

この「己を知る」とは、自分を過大評価しない、という意味だけだと思っていました。


しかし、打てないチームは他にもいくつかあります。
小久保さんのお話によれば、「打てない」という自分を卑屈に思うのではなく、前提として受け止めていることが「凄み」になっているということだと思いました。



発揮できる能力は、気分によって変わるもの。

そして、すべてを備えている人はいない。


足りないものを補うための努力は続けるとして、当面は自分を知って、それを前提として、今できることをする。

あきらめ、卑屈、卑下ではなく、今の自分のチカラを最大限に発揮することが、自分の強みになる、ということでしょうか。