可能性と選択肢

「子ども(若者)には無限の可能性がある」
なんて言いますが・・・


日曜日の「真面目な話」です。


子どもの無限の可能性は否定しませんが、選択肢は限られている、というのが現実ではないでしょうか。
否定的な意味ではなく。


僕は今、仕事にピアノ、書に画、メダカの世話も含めて、自分の時間の配分を自分の選択で決めています。
「仕事だけはいや」とか「趣味を大切に」とか、そういうレベルの話ではなく。
「やらなければならないこと」ではなく、「やりたいこと」があふれています。



「子どもには無限の可能性がある」

30代の僕には、「例えば卓球のオリンピック選手になる」なんていう可能性はありません。

しかし「無限の選択肢がある」と考えます。


子どもの「無限の可能性」は環境により「有限」とされる一方、大人は可能性が(子どもに比べて)限られているけれど、その範囲内で無限の選択肢を持っている。


だから僕は今、これまでになく充実した日々をむかえているのでしょう。