いつもどこかに

日曜日の真面目な話。

今日はあの震災から一年の日。
一年前のあの日以降、ブログ仲間のブログにも相当の心理的ショックが色濃く出ていたのを思い出します。
(近頃は他人のブログにほとんどおじゃましませんが、当時は見ていた)


そんな日だから、というからだけではなく、僕も昨年は大切な仲間を突然失ったので。



詳しくは知りませんが、僕らを成す物質は、分子、もっと細かくは原子、もっと細かくは・・・からできているらしい。

「命」というものの定義は、今の僕にはまだよくわかりませんが、僕らが知る(知り合っていた)命は、体(物質)を持っていました。
それが、ある日失われた。


それをそのまま肯定するわけではないけれど、「受け入れて終わり」というものでもないけれど、それを成していた原子は、この地球上から消えてしまったわけではなく、必ずどこかに循環して存在している、、、ということは事実なのでしょう。


「それをまたかき集めたら」なんていうのは夢物語だとはわかっているけれど、必ず「いつもどこかに存在する」・・・そういう考えは、今、まだ形を成して残っている僕らの心の救いにはならないでしょうか。
(いつか復活、とかいう意味ではありません)

何もないよりは、少なくとも僕の救いにはなっています。