日本国民に告ぐ

なんて。
日曜日の真面目な話です。

といっても、自分でも想定外の「政治」の話です。
(本来は、こんなコーナーではないのにすみません)



まずは、以下(ある本より)をお読みください。

「絶望した大衆は不可能を可能とする魔術にすがる…あらゆる人間にとってあらゆるものとなることを約束する魔法使いにすがる。
 大衆が傾倒するのは、その矛盾と不可能にもかかわらずではない。まさにその矛盾と不可能のゆえである…前方には越えるすべのない絶望の壁が立ち塞がっているとき、そこから脱しうる方法は魔術と奇跡だけだからである。
(例え話)
 ジャムをなめようとして瓶を壊した子供は、見つかればひどく叱られることを知っている。そこで見つからないようにと祈り、望み、信じられないままに信じようとする。」


何について書かれた本だと思いますか?


少子高齢化国債残高などの、将来とも言えない問題から目をそらし続ける日本国民と民主党政権を書いた本・・・ではありません。


著者は、最近書店をにぎわす、「P.F.ドラッカー」。
(といっても、にぎわしているのは、ドラッカーを引用した本ばかりですが…僕はそういう本が嫌いです)
著書は「経済人の終わり」
書いた対象は「ヒトラーを始めとしたファシズム全体主義
書かれたのは、1939年(昭和14年)です。


ドラッカー全集を読んでいて、たまたま、読み始めたこの本。
ちょっと恐怖を感じました。
近現代史には詳しくないので、よく知らないのですが、人はヒトラーを心から信じて支持していたわけではない、というのです。
恐怖による支配でもない、とも書いています。僕が持っていたイメージとは違いました。


「昨今の日本では、本当の政治が為されているのか?」
耳障りや都合の悪い議論をしようとすると、首相がどうの、与党がどうの、野党がどうの・・・という、「他人たたき」の議論にすり替わって、うやむやになっていく。それは本当に「政治家の質が低下したため」なのか?


そろそろ、行き着くところに行き着いてしまうのではないか・・・と感じているのは僕だけではないでしょう?

極論すると、「政治家を批判する」ということは、「自分自身を批判する」ということなのかもしれません。

本に書かれているような歴史(戦争という意味ではありません)が繰り返されないために必要なのは、強力なリーダーではなく、国民自身の「国の運営能力」だと感じるのです。

すべての問題をキレイに解決できるリーダー、なんていうのは魔術だと認識することが正解だと思うのです。


らしくない政治の話はこれっきりにします。
(好評なら書きますが(笑))
失礼しました〜。