点に向かう日々

この時期は喪中葉書がやってきます。

僕の元にも何通か届きましたが、年齢をみると、若くして他界された方もあったようです。また、ニュースなどでは事件や事故の報道がされ、巻き込まれたのは高齢者であったりもします。


人生の終わりは誰にもやって来るので、突き詰めれば、ただその一点に向かって生きているということなのでしょう。医者に余命宣告をいただくまでもなく、日々そこへと向かっているということですね。

ただ、事件や事故で生涯を終えるということの意味がわからないのです。高齢者の方であれば、戦中戦後の厳しい、現代の我々では絶対にわからない状況を生き延びた結果が、その一点に向かっていたということの意味。
これが僕を混乱させる……。


先日、父の友人が亡くなりました。60代半ばでした。
父の会社での同期だったそうで、趣味は登山、同じ趣味の父がすごかったと言うからよほどだったのでしょう。会社を早期退職し、自転車で日本一周を成し遂げました。ここ数年、がんと闘ってみえました。その父親もがんで亡くしていたことから、ある程度予想していたそうです。葬儀の手配までも自分で決めていかれたそうで、父は『彼らしい』とつぶやいていました。

この方のことは、父の話を通してしか知りませんが、人生のかたちであったと感じました。


自分がどのような『点』に向かっているのであれ、日々それを意識して生きることが大切なのだと思います。