超一流の言葉

日曜日は真面目な話を。


中日ドラゴンズ落合監督が新聞のコラムでこう書いています。

秋季練習について
『大事なのは、やらせる側ではなく、やっている選手たちがどういう意識を持って練習しているか。それがすべてなんだ。………時間の無駄、休みたいと思えばはっきり言えばいい。自己申告すればいい。だけど、ふるいにかけられるのは、そういう選手なんだよ。言われたことだけやっているのは楽。それはどんな世界でも同じで、一生懸命やっていますと力説しても、やっているんだったら、結果を出してもらわなくては困る。そこに気づいているのかな。』
『一番は自分が本当に何をしたいかなんだ。この世界で生き抜いていくために、やらされているうちは駄目。自分でやらなくてはと言っておいて矛盾したことを言うことになるが、練習をやりたくなくても引っ張り出してでもやらせなきゃいけない選手も、中にはいる。今、何をするべきか分かっていないと、前には進んでいけない。』

落合監督は現役時代、その世界では知らぬ者のいない超一流選手でした。
監督としてもやはり超一流だと思います。

「名選手が名監督とは限らない」
とはよく言われますが、
「超一流選手は超一流監督になる」
だと思うんです。
超一流監督である、ではなくて。


選手と監督は全く異なるものですが、超一流選手であったということは、物事の本質を見抜き、目標へ進む才能(?)があるということ。
超一流は何をやっても困難を乗り越え、超一流になるのでしょう。


コラムの後段が興味深い部分だと思います。
勝手な思い込みですが、あまり練習をしない選手に対する考え方。
現役時代の落合選手なら放っておくのではないかと思うんです。
なぜ監督の今は「引っ張り出してでも」なのか。
選手のため……それもあるのでしょうが、監督という仕事の結果を出すため、ではないかと感じます。


プロ野球選手はもちろんプロ。
職人だって、サラリーマンだって、それぞれ仕事人としては同じプロ。
職種を越え、さらにさまざまな立場までも考えさせてくれるコラム…やはり超一流はすごい。