指導

日曜日の「真面目な話」


誰でも、誰かを指導する立場になります。
(年齢を重ねるとそうなるのが自然です)


僕ですら、そういう立場があるわけで・・・


「自分なんかが他人にもの申していいの?」なんて思ったりもしますが、完全な人なんていないので、そんなこと気にしていたら何も進みません。
指導する「部分」に関して言えば、自分の方がちょっとだけ進んでいる部分がある、と割り切ってとらえるべきなのでしょう。


ま、ここは育児、という程度の話と考えてください。


指導する側からすれば、当然、より多くのことを知っているわけですから、答えを教えるのは簡単なことと思えます。
少なくとも、自分の経験に基づいて教えることは。


でも、「答えを教えること」は、その場限りの結果に結びついても将来的な道にはつながりにくいものだと考えます。

「失敗から学ぶこと」はとても大きなもの。

教えるということによって、本人にとって大きな「小さな失敗の機会」を奪ってはいけないと思います。

成長は小さな失敗の積み重ね。

教える側はついつい安易に答え(と思っているもの)を言いたくなる。。。でもそれは教える側としては・・・


「自分を伸ばすこと」と、「人の成長を見守ること」は異なるもの。

よく見れば、「指導」は、教えるではなく「指し導く」となっているではありませんか!

いい意味で『我慢』が今年の僕のテーマです。