努力と才能

日曜日の真面目な話。


「はじめの一歩」というマンガがあります。
ご存知の方も多いと思いますが、ボクシングマンガです。

その最新98巻の内容から。

ボクシングジムの先輩・木村さんと、才能豊かな若手・板垣くんの会話。


他のジムの引退する選手について

板垣「簡単に言えば脱落者ってことでしょ?」
木村「軽々しく言うな。天才君(板垣)たちにはわからねえよ」
板垣「天才って言葉で片付けてほしくないですよね。人一倍努力してるつもりですよ」
木村「努力は認めるよ。だがな・・・もっと破壊力が欲しいとか、もっとスピードがあればとかお前達は思ったコトがあるのか?持って生まれた人間達の努力ってのは、それをどう活かすかってコトに限定される・・・逆に恵まれていない人間達は全部やらなきゃいけねえ。足りないモノが多すぎてそれはそれで大変なんだぜ」


深い・・・もはや娯楽では済まされない深さです。


「努力と才能」ってよくあるテーマです。
努力は才能に勝るのか?

「才能のない努力」は「努力もする才能」には勝てないでしょうね。


ただ、物事を成し遂げるのに必要な能力は一つに限られることはほとんどないのでしょうか?
「才能」って、絶対的なものではなくて、相対的な比較ですし。

このボクシングの例で言えば、板垣くんはスピードの天賦の才を持っているのですが、もっと速い「才能」を持っている人がいたら、板垣君の才能はチャンピオンになるには無いと同じことになるのではないでしょうか。

ただ、パワー、スピードのほかにいろんな要素があって、結果に結びつくわけで、「才能」という一言で片付けるようなものってないと思うのです。

自分の「強み」を知って、それを活かしていくこと、「弱み」を知ってそれを補っていくこと、が大切だと考えます。